昔、NHKで
“近代芸術とエロス”
のような(番組名は失念)放送をしていたので何の気なしに観ていた。
何の気なしにね。
強いて言えば興味ありますからね、芸術の方にね。
その番組中で一生をかけ女性の裸体、妊婦、セックスなど、
赤裸々で官能的なテーマ描き続けた美への探究者、クリムトについてやっていたのですが、
そのクリムトに感銘と影響と刺激を受けたワタクシもエロスについて
じっくりねっとり考えてみることにした。
そしてこのような考えに行きついたので生ぬるい目でご覧いただきたい。
持論1
エロスの中に美しさの無きものはただの猥褻なものにすぎない
そもそもなぜエロスを感じるのであろうか?
それはそこに魅力を感じるからである。
だがこの現代、『エロス』と聞くと途端
“卑猥、淫猥、猥褻”などと感じる方が多い。
本来エロスと言うのは美しさを象徴とするものものではないのか。
皆さん・・・そのふくよかな胸に手を当てて今一度よく考えてみてほしい。
持論2
『エロス』と聞いて「いやらしい」と感じるのであればそれはエロスの奴隷である
文字通りであるが、皆さんはどうだろうか。
先ほども言った通り
『エロス=いやらしい』
と感じているのであれば今一度考えなおしてほしい。
持論1と少し似ているがエロスとは本来美しいものなのである。
ただレンタルビデオ屋の18禁コーナーの垂れ幕を見ると未だに緊張してしまう僕です。
持論3
世界平和の第一歩から最後の一歩までエロスについてである
おっぱいとおしりについて語り合えば世界は平和になるよ。
でもおっぱい派とおしり派で争うことになったらどうしよう・・・。
友人と刃を交える覚悟で僕はおっぱい派で戦争に行くでしょう。
持論4
エロスの最高峰はチラリズムである
この持論はこの世のエロスの頂点であると断言してもいい。
見えそうで見えない・・・
脳内補正。
高揚感と遺憾、そして無念。
様々な感情が一気に押し寄せてくる。
そこに自分の(その人本人の)中の最高のエロスがあると考える。
こんな話がある、
昔々、ある神通力が使えた神様(山伏と言う説もあり)が人間と共に暮らしていた。
その神様は優しく、困った人間を神通力を使ったり相談に乗ったりと人間の側にいた。
夏前のある日、早熟の女の人が着物の裾をたくし上げ田植えに勤しんでいた。そのたくし上げた着物から覗く白い足を見て
その神様は神通力をなくしてしまった。
この逸話は『田植えの日に苗を田に植える女性。』と言う意味の名字の「早乙女」「五月女」の由来である(諸説あり)。
この逸話の真髄はこうだ、
神様であってもチラリズムには勝てない。
しかもその時代、風呂といえば男女同室。もちろんその神様も一緒になって入っていたのにもかかわらず・・・である。
持論5
エロすぎて悪いことなど何一つない
エロすぎて悪いことなどあるだろうか?
いや、ない。これは断言できる。
なぁそうだろ?
強いて言うなら、家族団らん中のテレビから流れるエッチなシーンだろうか。
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エロへの探究は尽きない・・・
本日の一言
(両手を広げながら)世界はエロスで溢れてる!!
友人が18禁コーナーにて放った言葉
ここが私のアナザースカイ!!